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松岡 学 Gaku Matsuoka
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 有刺鉄線の向こう、立ち並ぶ電柱の先には、細く鋭く切り込まれた海が光る。身体を超えるサイズの画面にモノクロームのシルエットとして刻み付けられた港の一隅は、一見、殺伐とした人間不在の場面だ。この荒廃した情景は、多くのひとたちが期待する日本画らしさとはまったく異質といえようが、言葉にしがたい何ごとかの気配が濃密にまとわりついている。

 感傷や情緒を拒否したかのような、こんな画題を松岡学は描き続けている。それは、この《港》のごとき荒涼とした雰囲気が、彼のふるさとの原風景だからであるらしい。海岸線の地形を人工的に掘りこんで築かれた伏木富山港(富山新港)は、ひところは日本の高度成長期の国土改造を象徴するプロジェクトのひとつだったが、その風景のほど近くで画家は生まれ育った。いま彼が住む東京の郊外にも、地平を突然横切って現れる米軍基地の長大な有刺鉄線によって変容された景色を見ることがあるが、私たちの世代の多くがそこに感じる痛々しさとは異なる感覚を、若いひとたちは抱くに至っているようだ。時代とはそうしたものなのだろう。

 構図の上部を大きく占める曇天の空は銀箔のにぶい光を帯び、それは日本画的な余白ともいえるが、コントラストの強い画面を間近で観察すれば、画家との格闘の痕跡は、おびただしいニュアンスの集積となって、観るものの感覚を直撃してくる。岩絵具や箔のドライな質感でかたちが描き起こされた上から、墨や水干絵具などが流されては洗い出され、削り落として壊されては、また描き起こされ、…そうした繰り返しが、風雨にさらされ、鉄さびに蝕まれ、朽ちゆきかけている物質感となって迫りくる。それは記号ではない、真に身体的な感触である。

 人工物が対象のほとんどを占める画題からは意外なほど、作品の構図は実景から大きく逸脱はせず、取材した現場でみずからの心に焼き付けられた空間のイメージにあくまで忠実だ。自分で作ってしまえばわざとらしいものになってしまう。(たとえば花鳥風月のような)万人受けする既存のビジョンを再生産することに松岡の関心はなく、画面と対話し重層する記憶との間を往還する中で、自己の奥底に眠るインスピレーションを、およそ彼自身のために手探りし続けている。それがこの画家の絵画の潔さだ。

 たどたどしい不格好さの中にこそ、自分らしさがあると松岡はいう。彼はこの数年、対象を構図の中心に据えてみたり、抽象的な造形性を高めてみたり、空間と平面性の間を行き来する試行錯誤をしてきた。それも松岡らしい模索の道程だったが、すべてのもの、すべてのかたちに同レベルで意味がある時空(本人は〈ヌケ感〉と仮称しているもの)を探求する本来の立ち位置へ、画家は回帰してきた。彼の年代は、コンセプチュアルな画風が支配的な世代を斜め上に見上げてきたというが、松岡は今、頭ではなく体で描くことへの確信を、いよいよ深めつつあるようだ。

若松 基(富山県水墨美術館館長)

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