自らの身体を超える大きさの画面に、木炭や黒色の絵具で刻みこむ様に像を描く。
洗い出し、削り取り、また描く。その繰り返しでイメージを立ち上げていく。風雨に晒され朽ちていく構造体。
その質に惹かれるのか、形態に惹かれるのか。表面の錆や、塗装が剥離する美しさを求めているようであり、行為を限定するための短形を求めているようでもある。
大画面、構造体との格闘の痕跡。私は身体と手の感触を確かめながら、絵と向き合っている。
廃墟と白昼
錆び切って荒廃した建造物が、白い平面を背に黒褐色で塗り込められている――松岡学の絵のいくつかに見られるこうした光景は、人間のイメージを含んでいない。白と黒の強いコントラストが逆光のように繰り広げられる画面は、白々と照りつける太陽の容赦ない支配をあらわしている。この即物性ゆえに、寂れ/錆びれた風景がふつう喚起するであろう哀感、言ってみれば「もののあはれ」と形容されるような内面的感傷が入り込む余地は、そこに残されていない。しかも注目すべきことに、その事態は日本画的な「余白」の文法によってこそもたらされているのだ。
勝俣涼(美術批評)
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